FC2ブログ
林業、森林、木工についての様々な事を楽しく、おかしく、時には涙無くては語れない話など・・・

2020/0112345678910111213141516171819202122232425262728292020/03

木材が高く売れるようになれば何の問題もないのであるが、現実として
木材は『国際商品』として取り扱われる。
世界中から輸入される木材の価格と比較して国産材の価格も決定されるのである。
これが『生産コスト』無視の価格決定の一因でも有るのだが

だからといって、国内林業を『保護』するために外材の排除なんて事を言うつもりはない。

現在の国内林業は外材の利用があってこそ成り立っている部分も有る。

では、どうすれば林業は『業』になりえるのか?
5000万m3の生産を無理なく継続させることが出来るのか?

需要の喚起なくしては不可能であろう。
需要無きところに、いくら生産量を増大させても不良在庫を作るだけで
それは、価格の一層の低下を招く。

木材の利用方法として、検討しなくてはいけないのは
まずはマテリアル利用。
(木材を木として利用する方法である。)
建築用材としての利用が主となる。
価格的にも現時点では最も高く、利用量が増大すれば、それなりに山側が潤うことは間違いない。

しかし、現状の国内の住宅着工戸数を見た場合に
右肩上がりの着工戸数は望み薄であり、かろうじて期待できるのは、低・中層公共建築物。
このあたりについては、関係各省庁と話が進んでいるということなので
それなりに期待できるのかも知れない。

そして残されたのは木材生産量のうちでもかなりなボリュームを占めるであろう『低質材』と呼ばれる材木。
すなわち、無垢材として建築に利用するには品質的に不向きな材の利用拡大が重要な鍵を担っているのでは無いだろうか?

現在我が国でもっとも木材を利用しているのは『紙』である。
その殆どは海外からの輸入。
もちろん国内からの木材もチップ・パルプとして利用しているのだが
その量はわずかである。

確かに、スギ・ヒノキをパルプにした場合に紙質は落ちると言われており
製紙業界も乗り気では無いのだが、
ここで考えてみて欲しい。

現在の国内で本当に紙質の優れた紙がどのくらい必要なのだろうか?
綺麗な印刷が可能な紙が不必要だと言うつもりは毛頭無いが
紙の利用量のかなりの部分を使い捨てとして利用しているのではないだろうか?

コピーで有ったり、PCからのプリントアウトにそれほどの紙質が必要なのだろうか?
一方でこういった事務用品としての紙は安すぎはしないだろうか?
大量生産・大量消費の紙。

そして使った後はリサイクルして再生紙。
というのが現在の『エコリサイクル』としての流れである。
しかし、再生紙化するためにはかなりのエネルギーが必要であるといわれている。

一方で低質木材を燃料として利用する計画も着々と進んでいる。
低質材をチップ化して電力会社などの混燃燃料として使ったり
ペレット化して家庭用の燃料(ペレットストーブなど)として利用する計画が行われている。
この、燃料として利用する場合の一番の問題は価格。
この競合相手は石炭であり重油である。
これらの価格と比較して、エネルギー当りのコストを見た場合には
木材の価格は低く抑えざるを得ず
「利用は進めど、林業はジリ貧」なんてことにはなりかねない。

ここに、カスケード利用の考え方を取り入れてはどうだろう?
低質木材を『紙』として利用して、そこで使い終わった紙を
再生紙として利用するのではなく、燃料として利用する。

資源の無駄のように見えるかも知れないが
木材を、そのまま燃料として利用するより、はるかに利用価値が上がるのではないだろうか?
もちろん現状の技術力では難しい面もあるのかもしれないが
そういった面の技術開発に補助金を投入してはどうだろうか?

山側に税金の投入(補助金)が不要だとは言わないが
補助金を少なくして林業を成り立たせるためには
それなりの価格で木材が取引されることの方が重要である。

そこで、国産針葉樹木材の利用拡大のために税金を投入して
結果として木材価格の底上げを図る。

なんてのはどうだろう?

    ---つづく---
林業・木材関係者は『木材生産量』とか『木材生産コスト』とか言った言葉を最近よく使う。

ここで言う、『生産コスト』とは
山に立っている木を、
伐採して決まった長さに造材して、工場などに運び込むまでのコストを指す。
その『木材生産コスト』と『木材売上げ』を比較して、
赤字になった黒字になったと
一喜一憂している。

でもちょっと待って欲しい、
本当にこれが『生産コスト』なのだろうか?

例えば野菜を作る時の『生産コスト』は?
畑を耕すところから始まって
種を播いて
水やりや草取りの管理をして
やっと収穫。
そして出荷するまでの経費。
これがコストだと思う。

ところが現在の林業の場合。
収穫以降のコストだけを見て『生産コスト』だと言う。

そう、このコストの中には
何十年と育ててきた経費は一切含まれていない。

その上、木材の価格決定権は、山側には無い。
費用を積み上げて、価格に反映させるのではなく。
得られた収入から『生産コスト』を差し引いた物が利益である。
『市場』などと言う販売体系を持っている一次産業特有の現象である。

もちろん、育ててきた経費を差し引いて赤字になっても誰も文句を言わない。
そんな、産業が他に有るだろうか?

いくらデフレになろうとも、ガソリンの価格は上がり続けるし
タバコなんて税金の値上げ以上に価格を上げ
生産者の利益を確保しようとしている。

その対抗策として農業は『生産調整』を行う。
出来すぎる時には
もったいないと言われようが
キャベツを耕耘機で一緒に耕す。

生産量を調整して、価格を維持し、
トータルで『生産コスト』を下回らない様にしている苦肉の策である。
もちろん、その映像はショッキングで有ることに違いないが
耕耘機に乗っている人の心情はもっと辛い物であるはずだ。

一転、『林業再生プラン』では
現時点では利用価値が殆ど無く、山中に放置されている『林地残材』と言われる物を
『もったいない』から搬出しよう。
そして5000万m3の木材生産を目標としよう。
と謳っている。

現在の『木材生産コスト』と比較しても、補助金無くしては赤字になるのに。である。

       ---つづく---
『厄介者』とまで思われている『山』
そこに木が生えてても、全く関心が無い。

以前、手遅れになる前にと「間伐のお誘い」に都会の所有者さんに会いに行ったことがあります。
「費用はかかりません。手遅れになる前に間伐しましょう。」との言葉に
「もう要りませんから、もらってくれませんか?」

「買ってくれませんか?」
と言う言葉は何度も聞いたことが有るけど
「もらってくれませんか?」とは。。。

その山は所有者のお父様が、丹誠こめて手入れをし
まだまだ収入を得るには早いけど
順調に育ってるヒノキ山。
その苦労を見て、知っているだけに
「はい、いただきます。」とは言えなかった。

そんな状態の山がこれからも増えていくだろう。
そうなった時に
手入れもされず、林業から見放されたスギ・ヒノキの造林地は自然破壊につながるだろう。

だからこそ今
本当の林業を再生させなくてはいけないのだと私は思う。

ただ・・・
今叫ばれている『林業再生』は木材出荷量の増大のみを追い続けている。
10年後に5000万m3の出荷目標。
これだけを見ると決して不可能な数字じゃない。
だけど、目標が達成された時に
残った山は荒れ放題。
里山は丸裸になり、奥山の不採算地にのみ木々が残った。
なんて事にはしたくない。

そのためには、本当に収支のバランスが取れて
林業が『生』として成り立つ方法を模索する必要が有るだろう。

     ---つづく---
何故、今になって『森林・林業再生プラン』なんて物が注目を集めているのだろうか?
『再生プラン』って言うくらいだから
林業の現状がいかに混沌とした物になっているのかは、想像に難しくない事だろう。

それは、『山』から人が離れて行っている事に起因している。

まずは物理的な面で、人が離れている。
中山間地と呼ばれている地区で、人が居なくなっている。
『限界集落』なんて言葉もありますが
そこまでひどくなくても
若者の多くが都会に出て、集落に残るのはご高齢の方々ばかり
家の側にある田畑でさせ管理が行き届かないのに
そのまた奥に有る『山』まで管理することが困難な事は当たり前のこと。。。。
でも、まだ「自分の山を何とかしたい」と思う気持ちが有るだけ良いのかもしれない。

次は山自体を『不必要』と思っている。

例えば、
東京の銀座に10坪の土地を持っていると
その土地を何とか生かそうと
必死になって思いを巡らすはず
だけど、その何千倍の土地を遠く離れたふるさとに
『山』として持っていても無関心。。。

純粋に『土地』としての価値は変わらないはずなのに
いや、むしろ温暖化で海に埋没してしまう可能性のある『銀座』の土地より
山の方が価値があるかもしれない・・・

でも、その『土地』を経済的な価値で見た場合には
『山』は白旗を揚げるしかない。

ましてや、現在の様に木材価格の低迷が続くと山の所有価値はますます薄れてきて
その結果、
固定資産税は毎年のように払うけど
収入は殆ど期待できない『山』は不必要どころか『厄介者』と考える人まで居る始末。

こんな状態が続いてきたから人々は『山』から離れていったのではないだろうか?

            ----つづく----
何年もの長い時間を掛けて育てて
いつの日か、収入が入ることを夢見て
多くの人が木を植えてきました。

ところが今、日本中で議論されているのは

『木材需給率を○○%を目指そう!』とか
『今年は何m3搬出できますか?』とか
『○○m3以上搬出しなければ、補助金は有りません』
の大合唱。

生産量の増大を目標に林業を始めた人がどのくらい居るのでしょう?

何かが違う。
そんな物を目標に林業を始めたのではない。



戦前から戦後に掛けて
日本全体が燃料不足。
その当時、国内にあった唯一の燃料源が
『木』(薪・炭)
ありとあらゆる場所で、燃料として伐採されました。
その跡地に植えられたのが『スギ・ヒノキ』

なにも、スギ・ヒノキを植えるために伐採したのではありません。
国内の需要に応えるために伐採されたのです。

もちろん、植えすぎた事も事実でしょうけど、
当時のスギ・ヒノキの価格を見た時には誰がそれを止めることが出来たでしょうか?
それどころか、失業対策として多くの人たちが山林業務に就いて生計を立てていたのも事実です。

ところが、このところの木材価格の低迷。
普通に伐採したのでは利益が出るどころか
育ててきた費用も出ない始末。

これ以上の木材生産増大で需給バランスが崩れたときに
生産された木材を誰が購入してくれるのでしょう?

私たちは政策のために林業をしているのではありません。
いくばくかでも収入を得るために林業をしてきたのです。

このたびの『森林・林業再生プラン』
多くの重大なことが抜け落ちていると言われていますが
所有者不在の政策が成功するのは難しいでしょう。